食事が今のように1日3回になったのは江戸時代の後期、それまでは日本人は1日2回の食事を行っていたと言われています。
『朝飯前の仕事』という言葉があります。
朝起きてから、およそ3.4時間、食事までの時間にちょっとした雑用や御近所さんの手伝いなどをして過ごし、食事後は自分の生業を始めるという生活でした。『朝飯前の仕事』というのは、お腹が空いていても出来る『簡単な仕事』という意味で、現在でも使われているという説を聞いたことがあります。
『朝食(あさげ)』は午前10時頃、『夕食(ゆうげ)』は2時から5時までの間にとられていたようです。
油が普及して、日没後も灯りが使えるようになり活動時間が長くなったことや、江戸中期の江戸の大火事で重労働が必要となり、幕府崩壊に向けて庶民が力をつけていくとともに一日3食が定着していったようです。
それでも江戸時代の人は、今と比べると随分質素な食生活でした。
農民は米は作っていても年貢で納めなければならないのでなかなか米を食べることは出来ませんでした。少ない米に稗(ひえ)や芋、野菜の干したものを混ぜたり、野のもの、山のものを集めて食べていました。
一方で江戸の暮らしで白米を食べていた人々は、糠(ヌカ)の成分を取り除いた白米を食べ、ビタミンB1不足のため、手足の痺れや麻痺を起こす脚気(かっけ)になりました。いわゆる『江戸わずらい』です。
精製された糖質、白米やパン、パスタを食べて糖質過多になっている現代人のビタミン不足と実は同じことです。
これに味噌や醤油、大豆製品を補うことで肉を食べなくてもアミノ酸バランス(→本項参照ください)を保ち、ビタミン不足も防いでいたと考えられます。
身体をよく動かしていた江戸時代の人に比べ、現代人は運動不足、そして動物性の肉をとってビタミン不足やアミノ酸バランスを整えるので、付随してくる脂肪や塩分、添加物のため話は少し複雑になります。
この江戸時代中期に貝原益見という儒学者が書いた『養生訓』という本があります。
これは日本人の体質をよくとらえ、気候、風土に密着した健康法が詳しく書かれています。
『夕食は朝食より少なく、副菜や肉も少ない方が良い』
『朝食と夕食の副菜は一品、これに味噌、漬物を加えても良い』
『山の中に住む人は、肉食が少ないため病気が少なく長生きします』
『食が少ないと脾胃に気が巡りやすく、消化して、食べたものがすべて身体の養いとなります』
『食事が多くて腹がいっぱいになると、気がふさがってめぐらず、消化できずに病気になります』
などなど。
この100年の間に生活様式は随分変わりました。私たちが1日に処理する情報量はあまりにも多く、江戸時代の人の1年分とも言われます。
また、知らない間に大気汚染や電磁波、化学物質への対応など人体に負担のかかるストレスにも身体は対応しています。生きていくために昔以上にエネルギーが必要になっているのも事実かもしれません。ならば同時にこれらが引き起こす過剰なストレス、副腎疲労や気を病まないための知恵が必要です。
3代世代がかわっても消化機能、代謝など、人体の基本的な構造はほとんど同じ、これらすべてに完璧に対応できるまで進化は追いついていません。
3世代前の人たちが食べていなかった肉や砂糖を毎日たくさん食べれば体内の消化酵素がなくなって当然で、現代人はそれを薬やサプリメント、他の食べ物で必死で補ってつないでいます。
200年前の生活に戻る必要もありませんが、暮らしぶりや健康への知恵を振り返って、少し生活に取り入れてみると、身体にも心にも優しく生活できるのではと思います。
身体を動かし、腹八分目よりも少なく食事をいただき、気を巡らせて、”気を病まない生活” を習慣にしたいものです。